2024 Apr 24 , by:
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「西南戦争(せいなんせんそう)遺跡は熊本地震から8年経っても壊れたままなのはなぜ」という疑問について、その理由を深掘りしました。 熊本市北区植木町(うえきまち)にある七本(ななもと)官軍墓地。 西南戦争で戦死した政府軍の兵士を中心に、約300基の墓が並びます。 地元の顕彰会の会長に案内してもらいました。そこには、崩れた墓や結束バンドで仮止めされた墓が。 これらは、8年前の熊本地震で被害に遭ったということです。 西南戦争田原坂顕彰会 藤井修一会長(71)
「3年くらい前だったそうですが、遺族が来て、(墓石が)倒れた状況を見て泣き崩れたとの話も聞いている」 なぜこんな状況になっているのか。 西南戦争は、1877年・明治10年に政府軍と薩摩軍が戦った国内最後の内戦です。 死者は両軍合わせて約1万4000人。 最大の激戦地・田原坂(たばるざか)周辺での死者は、このうち約4分の1に上るといわれています。 国は熊本市と玉東町にまたがるこの戦場の跡を2013年に史跡に指定。 地元の顕彰会は両軍の兵士を悼むため、毎年3月に追悼式を開いています。 七本官軍墓地は戦没者の慰霊のため国が造ったものですが、今は熊本市が管理しています。 そのため顕彰会は市に墓の修復を求めていますが… 藤井会長「担当課に何度もお願いしたということですが、今のところ前に進んでいない状態」
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